ヘブンまでの経緯

始まり

2015年12月中旬、呼吸が苦しい、38.5度の高熱、腹痛の症状があり地元のサホロクリニックで診てもらいました。風邪の診断で薬をもらい、熱が引いたので治ったことになります。腹部の痛みが消えず、今度は形成外科に行きあばらの骨折ではないことがわかりました。

12月30日、呼吸が苦しいなか続けてきた羊の餌やりですが5~6歩 歩くだけで息が出来ないほど苦しく、ほかの病院は正月休みなので当番病院の清水町の日赤病院に駆け込みます。検査の結果マイコプラズマ肺炎ということでそれから10日ほど毎日抗生物質の点滴を受けに通います。正月3が日が過ぎたので羊の餌やりは近所の酪農家の登君に頼み家で安静にしています。7日ぐらいにはCTに見られた白い影がなくなり肺炎はなおったことになります。でも苦しさは一向に収まらず、芽球細胞・白血球が異常に多いので、20日、帯広にある厚生病院の血液内科に紹介状を書いてもらったところ明日入院の準備をしてくるように言われました。

初めての、そして長い入院生活がはじまりました。

 

入院、診断

13万もある白血球を下げるためハイドレアという薬を使い、10日ぐらいで3000ぐらいまで下がり、呼吸の苦しかった本当の原因だった貧血も何回かの輸血で楽になりました。後でわかったことですが肺炎ではなく増えすぎた白血球が自分の肺を攻撃していたのが白い影で映り肺炎と間違えたみたいです。腹痛は脾臓が腫脹して内臓を圧迫してたのが原因でそれもハイドレアで腫脹が止まったみたいです。

2日目にやったマルク(骨髄検査)の結果が2月2日に病名として知らされました。【JAK2遺伝子変異による本態性血小板血症からの骨髄繊維症および急性骨髄性白血病】というもので、抗がん剤は効かず骨髄移植でしか助からないということでした。厚生病院では移植ができないので北大病院に頼むという話でしたが、1週間たっても2週間たっても返事が来ないので嫌な予感がしました。治癒率が高いとHPで書いてあったのできっと助かる確率の高い患者しか受け付けないということだと思ったのです。

 

余命宣告とセカンドオピニオン

そんな事態に備えウェブで可能性のある病院を調べ、現在入院している虎ノ門病院(臍帯血移植の症例数世界一)とハプロ移植で有名な兵庫医科大でセカンドオピニオンを受ける準備をしました。厚生病院の主治医からは案の定、移植は無理なので余命は今年いっぱいと告げられました。多くの患者はその言葉を信じ諦めて自然消滅の道を選んでしまうみたいです。納得できないので翌日セカンドオピニオンを受けたい旨を告げたところ、自分の場合は腎機能の指標となるクレアチニンの値が約2と高く、北大病院の基準では1.3以下でないと受け付けないとか、民間の北楡病院にもかけあってみたが断られたということをその時初めておしえてくれました。

3月に長女が帰ってきてくれるので3月7日虎ノ門病院、8日兵庫医科大に予約を取り、資料をもってセカンドオピニオンを代理で聞きに行ってもらったところ、兵庫はほとんど北大と変わらない対応で「何しに来た」みたいな感じだったそうです。一方、虎の門は移植手術は希望するならやりますよといってくれました。

病状がおちついたので3月10日から3日間外泊することになり13日のコンサドーレ札幌の試合を長女と一緒に見に行き、病院に戻ったところで急に熱が上がり唇が腫れて顔全体が膨らんできました。口のなかから入った病原菌が白血球が少ないために増殖し、丹毒症という病気にかかってしまいました。ほぼ2週間で治りその間に虎ノ門から検査のための転院をすすめられたので厚生病院は3月いっぱいで退院しました。

 

転院

失効ギリギリのJALのマイルで帯広ー東京の飛行機を取り4月4日虎ノ門病院に到着し入院です。2週間ほどは毎日検査の連続で徹底的にしらべます。移植手術に向けて家族と一緒に説明を聞き、手術の同意書にサインして移植に向けて一歩前進します。4月19日に飛行機を手配し美智子が上京し4時ころ説明を受け、サインしました。もうその時点ではコーデイネーターの成田さんが先生と一緒にB型の男の子(4座一致)を確保してくれていました。細胞数が多いのがポイントだそうです。

何もなければ5月16日の週に13階にあがり臍帯血移植がスタートすることが決まりました。帯広に戻ることなくそのまま待ち望んだ Heaven によじ登る日が近づきました。

 

 

 

 

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